今回は、岡山を拠点に活動する映像ディレクター・安井祥二さんをゲストに迎えての対談。
学生時代から現在に至るまでのキャリア、地方で映像を続けることのリアル、そしてこれからの映像業界について、じっくり話を伺いました。
映像との出会いは、18歳の大学時代から
── 学生時代の話も聞いていいですか?
全然いいですよ。大学に入ってすぐ、18歳の頃から映像を作り始めました。
── もうその頃からこの業界に入りたいと思っていた?
そうですね。最初はHi8っていう小さいカメラから始まって、ベータカム、MiniDV…完全にテープの時代です。
── 今とは全然違いますよね。
全然違います。昔は編集もデッキからデッキへ順番に録画していくしかなくて。
ディゾルブもレバー操作で、「今だ!」ってタイミングを狙うんですよ。
── 失敗したら大変そうですね。
地獄ですね(笑)。やり直そうと思ったら、もう一回最初から。
でも、あのアナログな経験があったから、今の環境がどれだけ恵まれているかも分かるし、積み重ねにはなってます。

東京の現場で感じた「何もできない自分」
── 卒業後は東京にも行かれたんですよね?
学生の頃からNHK岡山局でアルバイトをしていて、休みの期間を使って東京に行ってました。
映画の現場で助監督をやらせてもらったのが大きかったですね。
── 実際、東京の現場はどうでした?
正直、「何もできねえな」って思いました。
学生時代は、ある程度できてるつもりだったんです。でも東京に行ったら、レベルが全然違った。
── それは衝撃ですね。
でも、その分めちゃくちゃワクワクしました。
機材も、光の作り方も、現場の熱量も全部違う。
あの経験があったから、地方に戻ってきてからも「負けたくない」「追いつきたい」っていう気持ちがずっとあります。
岡山に戻って、テレビから広告へ
── 岡山に戻られたのは早かったんですか?
結構早かったですね。20代前半には戻ってきて、NHK岡山局で番組契約として仕事をしていました。
── 最初はテレビ番組制作が中心?
そうです。その後、広告やウェディング映像もやるようになって、今は広告映像がメインですね。
── フリーランスの期間も長いですよね。
30歳くらいまでは、ほぼフリーランスでした。
2016年に法人化しましたけど、今の制作スタイルのベースはその頃にできたと思います。

機材は変わっても、映像の本質は変わらない
── 機材や編集環境の変化は相当ありましたよね。
ありましたね。一眼で動画が撮れるようになった時は革命的でした。
編集も、誰でもできる時代になった。
── その中で変わらないものって何だと思いますか?
根本は変わってないと思います。
何を伝えたいのか、どう感情を動かしたいのか。
レンズやアングル、カットの繋がりも、全部意図を持って選ばないと伝わらない。
── そこが安井さんの強みですよね。
「伝わる映像」を作ることは、ずっと意識してきましたね。
教える立場として、次の世代へ
── 最近は講師としても活動されていますよね。
呼ばれたら、特別授業みたいな形で。
構成の基本とか、「何を伝えたいか」をまず考えることを教えています。
── 母校との関わりも続いていますよね。
できるだけ学生には現場に入ってもらうようにしています。
自分を育ててくれた大学なので、その縁は大事にしたいですね。

若い人には「一度は東京を見てほしい」
── 今の若い世代を見て、どう感じますか?
今の子の方が真面目ですね。
ただ、情報が多い分、現実を見すぎてるところはあるかもしれない。
── だから東京へ?
そうですね。短期間でもいいから、一度は東京の現場を見てほしい。
本気で物を作ってる人たちの熱量を体感すると、その後が全然違います。
岡山の映像業界は「謎が多い」
── 岡山の映像業界についてはどう思いますか?
正直、謎が多い(笑)。
テレビ、広告、ウェディング、それぞれ世界が分かれていて、横のつながりが薄い。
── でも面白さもありますよね。
ありますね。いろんな人がいて、若い人もどんどん出てくる。
だからこそ、もっと巻き込んで、みんなで“しびれる映像”を作りたい。
これからのテーマは「いい未来を考えること」
── 安井さん自身の今後のテーマは?
「いい未来を考えること」です。
社会も成熟して、情報も過剰な時代だからこそ、本当にいい未来って何だろうって。
── 映像ディレクターとして?
そうですね。企業が描く未来を映像にするのも役割だけど、
自分自身の未来もちゃんと考えたいなと思ってます。

